最近、文献の中で イニシアチブ、主体、能動という用語が多くでてくる。
障害が重度になれば、受け身になりがちになり、周囲とかかわりを持つ活動が行いづらくなれば、周囲とつながることを乏しくしていくだろう。そのことが、よりいっそう障害者を受動的にしてしまう。
この観点は、重要視されることは当然であるが、どこまで? という思いがある。
例えば、やりたくない勉強をすることは当然
主体的ではない。と考えると、音声言語のない重複障害者に対しての学習は主体的❓
どこまで主体性に任す❓
イニシアチブ アプローチ
自己決定は権利で義務か